明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 

昨年末は日程の関係で忘年会ができず、かといって新年会をやるにしても日程の調整が難しいため、思い切って、土曜の出勤日に午後からバーベキューをやることにしました。この時期ですから、食べるのはもちろん岡山県産の牡蠣、そしてお肉です。

 

岡山・虫明産、今が旬の牡蠣。地元では一斗缶に入ったカキ缶を買って楽しみます。

 

今回のイベントは、新年会と7月に入った新人君の歓迎会も兼ねています。

とはいえ、新人君が一番汗かいて肉を焼いていたような気がします。

僕はただただ牡蠣が食べたかったので、みんながテキパキ動く姿を見ているだけでした。

 

ドラム缶をぶったぎった即席のコンロに炭を置いて火を起こし、そこへ豪快に牡蠣を並べていきます。

 

さんざん食べたのですが、半分くらいしか減ってません。まだまだ残っています。今回10人で食べ始めたのですが、全然食べきれません。あんまり食べると当たるかもしれないと、どか食いするのも怖いし、なかなか難しい食材です。

 

牡蠣と肉をひとしきり食べ終えた後は、デザートのイチゴです。

でももう食べきれず、少し残ってしまいました。

 

この冬はあまり寒くなくて、この日も日差しがあって気持ちよく風もなかったので、絶好のバーベキュー日和でした。

お正月初めは、この地区は1月9日が「山の日」という特別な日でお休みだったり、なんだかお正月気分が抜け切らない1週間でしたが、来週からは気持ちを入れ替えて、また仕事に励んでいきたいと思います。

鉱山のシンボルともいえる「立坑ケージ」。弊社で稼働中の立坑ケージは、おそらく日本の鉱山で最後に残った現役の立坑ケージと考えらます。昨年は切れてしまったワイヤーの交換という大修理を行い、再び稼働する状態に復帰しました。
その経緯については、これまで何度か当ブログにて紹介しました。


おそらく日本最後の現役「立坑ケージ」復活なるか?【その1】 2018年3月17日

おそらく日本最後の現役「立坑ケージ」復活なるか?【その2】 2018年3月30日

おそらく日本最後の現役「立坑ケージ」復活なるか?【その3】 2018年4月23日

おそらく日本最後の現役「立坑ケージ」復活なるか?【最終回】復活しました! 2018年12月19日

また復活後には、山陽新聞にもご紹介いただきました。


ただし、ここまではあくまで「稼働できる状態」も戻しただけで、修理作業をやっていただいた業者さんからは、地下と地上を上下するカゴの部分にあたるケージがボロボロで交換した方がよいとアドバイスがありました。

40年以上何もしてなかったので、確かにボロボロです。また、ケージを安定して上下させるために立坑内に設置されたガイドレールもがたつきがあって、どこかの段階で修理をしたほうがよいとのことでした。

とりあえず、今年はケージを交換することにしました。台風や大雨が落ち着く10月の半ばから作業を進めていただきました。以下、作業中の写真です。作業は数日に分けて行なわれました。

じっくり作業を見学したかったのですが、あいにくじっと見ることができず、職人さんたちがテキパキ作業をしているうちに、古いケージが抜き出されて、新品のケージに入れ替わっていました。


立坑から抜き出されたケージ


古いケージから必要な部品を切り出す



次に見に行ったら、もう新しいケージが設置されていた


現在の中身の様子

 

来年はガイドレールの修理を行って、これでとりあえずひと段落といったところです。
鉱山見学でお越しの際は、ぜひとも弊社の立坑櫓をご覧いただきたく存じます。

立坑ケージのお話の続き、ついに完結編です。
なんと修理が完了しました!

 

立坑ケージそのものの説明は、【その1】をご覧ください。
立坑ケージの仕組みと動作については、【その2】をご覧ください。
立坑ケージで発生した故障については、【その3】をご覧ください。


修理は今年の6月と11月、おおむね2回に分けて進められました。
作業としては、試運転中に切れてしまったワイヤー、その先に吊るされていた重りを地下113mから回収して修理。また、切れたワイヤーの交換と、これと合せて、ケージ(カゴ)側のワイヤーも交換。といった流れで行われました。

 

こちらが立坑の外観図です。
昨年11月に重り側のワイヤーが切れてしまい、重りが地下に落下してしまいました。

 

こちらが内部構造を示す図です。

今回は重りの回収と、重りとケージのワイヤー両方を交換します。

 

地下の立坑乗り場に落下した重り。

 

今年6月、重りの回収と重り側のワイヤー抜き取りが行われました。

 

ワイヤーを抜き取る様子、すごく重い。

 

巻室のドラムからもワイヤーを抜くための切断作業


そして11月、今度は新品のワイヤーに付け替えるとともに、回収した重りを再びワイヤーで吊るす作業に行いました。

 

新しいワイヤーを入れている様子。

 

オーバーホールされた重り、再び地下へ。


断続的な工事を経て、1年ぶりに立坑が復活しました。
でも、まだまだ修理が必要です。ケージが老朽化しており、新たに作り直す必要があります。それに、ケージを左右で支えているレールも劣化がひとく、補修工事をしてやらないといけません。

 

かつては毎日利用して、人員の運搬にも活躍した立坑ですが、現在は年に1回使うかどうか、それに保安上、人員は乗せられないので、道具や機械の上げ下げにしか使ってない立坑なのですが、もうここまで来たら、産業遺産の保存事業です。
これから数年かけて修繕を行い、あと30年は使える状態で残したいと思います。

 

鉱山に残る現役の立坑です。
弊社にお越しの際はぜひとも見学してやってください!

ヤマモトロックマシン社の外観です。

 

鉱山では様々な重機が稼働していますが、その中でも最も重要な機械の1つが「削岩機(さくがんき)」です。削岩機は、硬い岩盤に穴を開けるために使います。弊社の場合、切羽(採掘場の先端)に対して、だいたい40〜50箇所の穴を開けます。

 

1つの穴の長さというか深さは、だいたい1.7〜1.8mくらい。この穴に火薬を詰め込み発破することで、鉱石を掘り出しています。

 

弊社坑内での削岩の様子。削岩機がヤマモトロックマシン社製。
ものすごい音がします。作業者は耳栓をして作業しています。

 

さて、そんな削岩機の老舗メーカーとして、長年の実績を持っているのが「ヤマモトロックマシン」さんです。先日、会社見学の機会をいただき、戦前から稼働している工場を拝見させていただきました。今回はその見学レポートです。

 

ヤマモトロックマシン社(元々は山本鉄工所)の創業は1915年(大正4年)、広島県庄原市の東城町という小さな町で100年以上にわたって削岩機を作っています。現在は、削岩機だけでなく、鉱山や砕石、土木で使われる削岩機や破砕機、それに製鉄所などに使われる各種機械を製造しています。

 

弊社では3台の削岩機が地下坑内で稼働中です。削岩機は「ドリルジャンボ」と呼ばれることもあり、弊社では「ジャンボ」と呼んでいます。

 

ちなみに、今回、会社を訪問した初めて知ったのですが、製鉄所でもやはり「穴を開ける」という工程がとても重要な作業の1つとなっているそうです。高炉の中で煮えたぎる銑鉄を抜き出す際(出銑)に、高炉に穴を開けて、その穴から流し出すそうです。銑鉄の温度は1800℃にも達しますが、この高炉に穴を開ける機械が「出銑口油圧開孔機」です。こちらもヤマモトロックマシン社で生産しており、全国の製鉄所で稼働しています。

 


話を戻して、工場見学です。まず見学したのは、昭和初期に建てられ現在も現役で稼働している削岩機工場です。外見がまさに絵に描いたような昔の工場!

 

なかなかモダンな佇まいですが、教会などのデザインもモチーフになっているようです。

 


内部は圧巻です。ご覧の通り、木造トラスの屋根が目を引きます。
工場内は、真ん中の通路を隔てて、右にも左にも旋盤や工具類が並んでいます。足元には、加工前の鋼材もたくさん並んでいます。戦前の工場のイメージそのままです。

 

こちらの建屋は国の登録有形文化財に指定されています。お話によると「文化財」なら外見を維持すれば中身は変えてもOKらしく、「重要文化財」になると外見も中身の古いまま維持しないといけないらしいです。

 

何だか「昭和っぽい」とか「戦前の工場」なんていってますが、工場内には先進的なNC旋盤もあちこちに見られます。なんとなく古いだけで作業工程は現代風です。訪問日はたまたま曇り空で工場内はそれほど暑くなかったですが、いつもは蒸せ返る暑さだそうです。これだけ機械があれば暑いですよね。

 

いくつか写真をご覧いただきましょう。

 


ほとんどが丸形の鋼材で、大量に保管されています。
地面には軌道の跡があります。昔はトロッコを使って部材を運んでいたそうです。

 


一度に様々な工程が一気にできてしまう旋盤です。

 


とてもきれいに整理整頓されています。
こちらに限らず、どの現場も整理が行き届いており、作業しやすい雰囲気でした。見習わないとなあ。

 

「浸炭工場」と呼ばれる建屋です。
旋盤や工具が並ぶ工場内で、ここだけは雰囲気が違います。
加工した部品の表面にカーボンコーティングを施すため、部品と炭を炉の中で高温で焼く施設です。さすがに暑いです。この工場内には神棚があって、出雲大社の神様であるスサノオが祀ってあるそうです。そういえば、この辺りは中国山地を越えたら出雲となります。

 

浸炭工場から出した部品を冷やす工程です。こちらでは焼いた部品を冷やす作業をされていました。これは熱い!

 

こちらは最新型の小型削岩機です。本日のもう1つの目的は、こちらの削岩機を見るコトでした。削岩機の肝となるのは重機の先端部分であり、車体自体は一般的なパワーショベルと同じものです。

 


新しい削岩機の切れ味を実演していただきました。切れ味は抜群です。


ちなみに、重機の改造や削岩機の備え付けを行っているのは重機工場です。レトロな工場のある場所は東城町の街のど真ん中ですが、重機工場は少し離れた工業団地にあります。

 

ひととおり、ヤマモトロックマシン社を見学させていただきました。
旋盤や金属加工について詳しければ、もっとより深い見所がわかったはず。とはいえ、何も知らない素人が見ても、ただただ感心のため息が出る見学でした。

 

広島の山深い小さな町で、世界の現場で活躍しているスゴモノが作られていることに、ちょっと不思議な感動がありました。来年あたり余裕ができれば、新しい削岩機を導入したいところです。
いやー頑張らないとなあ。

先月は、記録的な豪雨で岡山県は甚大な被害に見舞われました。弊社のある備前市では、人身に関わるような災害はなかったようですが、ブルーラインなどの道路で崖崩れが発生し、かなり長い間に渡って通行不能になるなどの被害がありました。

 

ただ、家や会社が水に浸かったり、ケガをした人などはいなかったようです。弊社の従業員も、直接の被害はありませんでした。知り合いや親戚に真備町の人がいて、休みの日は復旧の手伝いにいったものはいたようです。

 

弊社自体は、実はかなり大きな被害に遭いました。弊社が地下坑道で採掘しているゆえの、まさに弊社ならではの災害ですね。弊社坑道の最深部は、地下155mの場所にあり、瀬戸内海よりも20〜30mは下にあります。普段も湧水が多く、ポンプを常時稼働させて水抜きをしていますが、雨が降ると湧水量が膨大になります。

 

台風や大雨を何度も経験し、大量湧水発生時の対応にはだいぶ慣れていたのですが、今回の豪雨はこれまでの経験をはるかに上回る降雨量となり、結果的に、最深部の坑道のほぼ全域が水没するという大変な事態になりました。

 

雨の量は、6月(梅雨時)の1ヶ月間の3倍分、それがたった3日間で降ったものだから、坑内の湧水は激しさを増して、一番深いところで2mほど水が溜まりました。

 

幸い、雨の降り始めに、坑道内に置いてある重機・車両をすべて引き上げていたため、大きな損害にはなりませんでしたが、持ち運びができなかった道具類や、電気配線がダメになってしまいました。

 

すべての水を組み上げるのに2週間ほどかかりましたが、今月からは無事通常作業に戻ることができました。現在は普段通り採掘を進めています。ただし、7月に貯鉱石を全て使って直近の出荷に回したので、9月以降の出荷にやや影響が出そうです。なるべくお客様にご迷惑がかからないよう、復旧作業を進めております。

 

そんな最中、先週末の夕方、積乱雲が発生して通り雨が降ったのですが、その際に雷が近くに落ちたようで、弊社の試験装置が壊れてしまいました。

 

リガク製のX線回折装置、MiniFlex600です。

モニタは全損、パソコンも一部が壊れて正常な起動ができない状態。右にあるMiniFlex600はネットワーク部分が壊れたようで、パソコンに接続できません。

 

毎日使っている装置だけに打撃が大きいです。

まったく泣きっ面に蜂といった感じで、災害が続いております。

お盆明けにはどうにか使える状態に戻って欲しいところです。

弊社鉱山のシンボル、立坑を見学するツアー参加者のみなさん。

※写真は、NPO法人地球年代学ネットワーク様よりご提供いただきました。
 以下、今回の写真はすべていただいたものです。

 

6月16日に、地元のNPO団体が主催するジオ見学ツアーで、50名もの方が弊社鉱山にお越しになりました。さすがにこの人数を坑内にご案内はできないので、今回は坑口と坑外の施設、それに地質の観察ができる場所などをご案内しました。

 

今回主催したのは「NPO法人地球年代学ネットワーク」様。岡山県の備前県民局との共催で、公募で集まった一般の方を対象としたジオの魅力を学ぶ体験ツアーの一環で、弊社鉱山の見学にいらっしゃいました。

 

まずは、パネルを使って弊社の概要を説明しました。


ジオパークは、ユネスコ認定のジオパークや日本独自のジオパークなど、日本各地に点在しており、岡山県に近いところでは、鳥取・兵庫にまたがる「山陰海岸ジオパーク」が有名です。関連する自治体ではジオパークを巡る見学ツアーなどが行われて、ジオに対する関心が高まっています。

私たちの鉱山がある備前市やお隣の和気町など、この辺り一帯は、かつて巨大なカルデラだったという仮説があるそうです。正確には「コールドロン」と呼ぶそうですが、今のJR和気駅を中心とする巨大な火山があって、やがて風化して「和気コールドロン」が形成されたそうで、私たちが掘っている地下鉱床はこの「和気コールドロン」の外縁部に属するそうです。

 


ツアーの参加者に配布された資料より。
この地区は「和気コールドロン」という巨大な火山の跡にあるという説です。
備前や和気の人はおそらくほとんど知らないと思います。僕も今回初めて知りました。

ちなみに、県境をまたいだお隣の兵庫県赤穂市も「赤穂コールドロン」という大きな火山の跡とのことで、今から7000万〜8000万年前の白亜紀末期、この辺りは火山だらけだったみたいです。

 


見学ツアーは土曜にお越しでしたが、弊社は通常営業だったので、参加者の後ろで大型ダンプに原料を積み込みしています。ちょっと面白い光景です。



今回は50名もの方がお越しになったので、さすがに坑内見学にはお連れできないので、坑口付近を出入りしてもらい、坑道から吹き出す風を体感していただきました。坑内は年中17℃で、坑口から吹き出す風は涼しく感じられます。


でも、この風は人工的に起こしたもので、坑内には巨大な換気扇を使って、地上から空気を送り込み、空気の入れ替えを絶えず行っていることなどを説明しました。



立坑下の巻室周辺に残る、古い鉱車いわゆるトロッコなどもご覧いただきました。この地区に残る貴重な鉱山遺産になると思い保管しています。



三石地区のろう石鉱床は、ヤマから湧き出す水が酸性でそのまま河川に流すことはできません。したがって、中和処理する施設が必要です。参加者の方には、こうした地味な取組みに関してもご説明しましたのが、皆さん大変熱心に聞いていただき、いろいろとご質問もいただきました。

今回、見学ツアーをお受けするに当たり、50名もの人々がお越しになるとのことで、どうなることか心配でした。また、弊社のような地味で一見わかりづらい仕事をやっているところに、果たして関心をもっていただけるのか、その当たりも気になっていました。

しかし、実際にお越しいただいた皆さんは、大変関心を持って見学いただき、また短い間でしたが、みなさんとお話しができたのはとても刺激になりました。次回は、私だけでなく、従業員などにも直接話ができるような機会が設けられればと思っています。

この度のジオ見学会に参加された皆さん、弊社にお越しいただきまして誠にありがとうございました。また見学会を主催されたNPO法人地球年代学ネットワーク様、また是非ともツアーに組み込んでいただければ幸いです。今後ともよろしくお願い申し上げます。

有田・波佐見のお話の続きです。
前回の【その1】をご覧ください。

 

有田焼や波佐見焼といった陶磁器の原料となるのは、熊本県の天草諸島で採掘される天草陶石です。天草陶石は、陶磁器業界では最も著名なブランドで、有田や波佐見ではもちろん主力原料として使われてますし、京都の京焼・清水焼や東海地方の瀬戸・東濃地区でも広く利用されています。

 

その強力なブランドに対して、弊社の土橋陶石はどちらかといえば、知る人ぞ知るブランドで、一定の評価はいただいているのですが、あまり広く知られていません。そのため、肥前地区には今まで全く出荷したことがありませんでした。

 

できれば、肥前でも弊社の原料を使っていただきたい、と前から思っていたのですが、この度、波佐見町にある長崎県の窯業技術センター様にて、弊社の原料を精製したセリサイト(土橋セリサイト)を、肥前の焼き物に使えないかお試しいただく機会をいただきました。

 

波佐見町にある長崎県窯業技術センター

 

陶石は「水簸(すいひ)」という技術を使って精製します。
この時、肥前地区では、独特の製法として「スタンパーミル」という粉砕機を使って、時間をかけてゆっくりと粉砕します。粉砕というよりも、ウロコ状の形をした薄いセリサイトが何重にも重なっている粒子を、少しずつはがしていく要領で、超微粒のセリサイトに分割していく、といった粉砕方法です。

 

肥前独特の粉砕機「スタンパーミル」

 

今回、弊社の原料もスタンパーミルで粉砕し、微粉となった「土橋セリサイト」として各種試験を行っていただいてます。「土橋セリサイト」を、天草陶石やその他の原料と配合して陶磁器原料を作るのが今回の試験における1つの目的です。

 

現在、様々な試験が進行中ですが、今のところ、土橋セリサイトは肥前の陶磁器にも適しているとのことです。

 

また、陶磁器原料以外の使い方についても模索しています。スタンパーミルで長時間粉砕した土橋セリサイトは、微粒のサイズがナノクラスにまで小さくなるようです。

 

ナノというのは、小ささのサイズを表す言葉で、メートルでいえば、1ナノメートル(nm)は1メートルの10億分の1を表します。このレベルまで超微粒にすると、物質によっては大きな粒子の際とは違った独特の特性を示すことがあり、さまざまな研究開発が行われています。こうした超微小の世界における技術全般について、一般的にナノテクノロジーと呼ばれています。

 

ナノテクノロジーの新素材として、土橋セリサイトが使われることが今後あるかもしれません。ちょっと夢が広がりますね。

 

有田・波佐見のある肥前地区は、近くに嬉野温泉や佐世保の軍港のほか、古くからのキリスト教会が点在していたり、お魚がおいしかったりと、観光には最適です。できれば、肥前に定期的な出荷先ができて毎年営業で訪問したいと思っています。大変期待しています!

 

連休の時期だと、波佐見では陶器まつりがありますよ!

写真は佐賀県有田町の陶山神社にある有田焼でできた鳥居。背後は有田の街です。本日は、歴史ある陶磁器の里、有田・波佐見についてです。

 

弊社で採掘している原料は、主に陶磁器や食器、便器などの衛生陶器にご利用いただいてます。陶磁器の生地に必要となる可塑性や、窯で焼いた際の色の白さなどに定評があり、すでに50年近くご利用いただいてます。

 

さて、日本で一番大きな陶磁器の産地といえば、愛知県から岐阜県にかけての瀬戸・東濃地域です。弊社の原料は、主に瀬戸・東濃地域の陶磁器原料を扱う商社さんや粘土屋さんに出荷しています。

 

粘土屋さんの工場では、地元のとれる木節(きぶし)粘土や蛙目(がえろめ)粘土などと共に、弊社のセリサイトを含んだ陶石をブレンドして粉砕・加工することで、洋食器やお茶碗などの原料「坏土(はいど)」を作っています。

 

一方、日本における陶磁器発祥の地といえば、九州の西に位置する、有田、波佐見、三川内、伊万里など、いわゆる肥前と呼ばれる地域です。

 

佐賀県の有田町はここです。

 

長崎県の波佐見町は有田町のすぐ南側です。

佐賀県の伊万里市、長崎県佐世保市の三川内もみんなこの辺りです。

 

豊臣秀吉によって朝鮮半島から連れてこられた陶工たちが、有田の地で陶磁器づくりに最適な石(陶石)を発見し、陶磁器を焼く窯を築いたのが、肥前における陶磁器づくりの始まりです。以後400年に渡り、陶磁器の一大産地として世界にも名が知られる存在となっています。

 

肥前の焼き物において中心となるのが佐賀県の有田町で、多くの陶窯や陶磁器会社が操業しています。レトロな街並みも相まって、肥前観光における中心的な役割を果たしています。

 

有田の街の様子。レトロな雰囲気が漂います。

 

有田焼の窯元、深川製磁の建物。アールデコな建物が時代を感じさせます。

 

高級陶磁器で有名な香蘭社の本社とショールームもあります。

 

有田町の南側にあって峠をひとつ越えたら、長崎県の波佐見町です。波佐見も数多くの陶磁器会社があり、全国のデパートにも卸している著名ブランドがあります。棚田や温泉もあって、こちらも多くの観光客が訪れます。

 

波佐見町の中尾郷。たくさんの窯元がひしめき合ってます。写真中央に、昔の巨大な登り窯の跡が見えてます。

 

窯元や著名な陶磁器会社がたくさんある肥前地域ですが、弊社の原料は、実はまったくご利用いただいてません。肥前のほうでは、弊社の存在はほとんど知られていないんですよ。というのも、そのそも肥前は同じ九州の熊本県・天草地方から陶磁器原料を入れているからです。

 

そんなわけで、次回は有田・波佐見の陶磁器原料についてと、今、肥前において弊社が取り組んでいる案件について書いていきます。

立坑ケージのお話の続きです。


立坑ケージそのものの説明は、【その1】をご覧ください。
立坑ケージの仕組みと動作については、【その2】をご覧ください。

 

今回は、弊社の立坑ケージで発生した故障について書いていきます。

昨年11月に、立坑に設置してある排水管に穴が空いて、地下からくみ上げている坑排水が漏れ始めました。坑排水は坑道を掘る際に出てくる湧き水ですが、pHが3〜4程度の強酸性のため、そのまま流すと公害になります。そこで、ポンプを使って地上にくみ上げて、中和処理を行ったのちに河川に放出しています。

 

そんな強酸性の水ですから、一旦吹き出すと、まわりにある鉄製品を一気に劣化させてしまいます。今回はたまたま運が悪く、立坑ケージの重りを吊ってあるワイヤーに坑排水が集中的にかかってしまい、ワイヤーの劣化、弱体化が一気に進んでしまったようです。

 

さて地上では、そうとは知らず、排水管の修理を行うために、作業員が立坑ケージに機材を積んで、穴の空いた排水管の位置まで下ろそうとしていました。そこで、数年ぶりに立坑ケージの試運転を行ったところ、ワイヤーが切れて、重りが地下まで落ちてしまい、ケージを動かすことができなくなってしまったのです。

イメージとしては、こんな感じです。

 

 

立坑の真下のある地下坑道には、落っこちてしまった重りと、落下したワイヤーが散乱している状態です。このワイヤー、大変重いんですよ。

 

重りを吊っていたワイヤーが切れて、地下坑道に落下した状態

 

立坑ケージが壊れてしまい途方にくれたものの、排水管の修理はしなければならないので、道具や機材は隣にある非常階段を使って、えっちらほっちらと人力で運び入れて、なんとか修理は完了しました。

 

しかし、立坑ケージの修理はさすがに自分たちではできません。
ワイヤーの交換には、専門の職人さんの技が必要です。
まずは、今から40年以上前に、弊社に立坑ケージを設置してくれた大手工営会社に連絡することにしました。といっても、その会社はすでになく、同じグループ会社にある別会社に鉱山プラント事業を移管していたので、そちらに連絡を取ってみました。

 

40年も前のことだし、さすがにやってくれないかも…と不安に思っていました。
実際、数日後に来たプラント会社の方は、「立坑ケージの修理ができる職人がもういないんだよねぇ」とおっしゃっていて、ちょっともう無理な感じが漂い始めました。

 

その後も、何度かやり取りや現地調査をやっていただき、とりあえず、現況調査と工事のお見積りを作成していただきました。とにかく、古い設備なので調べながら、ちょっとずつ進めていただけるとのことです。

 

まずは何よりも、こんな古い設備の修理に取り組んでいただけることに大変感謝です。
弊社の実情からいうと、鉱石や人員の運搬にはトラックを使っているため、立坑ケージはすでに過去の設備といえます。しかし、なくなってしまうと、坑道のメンテナンスに支障が出る可能性があると判断し、なんとか時間をかけて修理していくつもりです。

 

それに立坑というのは、やはり鉱山のシンボルですから、とても小さな立坑ですが、維持する体力がある限り、なんとか稼動する状態で残していきたいと思っています。こんな小型の立坑で、今でも現役で残っているなんて、日本ではおそらく弊社のみでしょう。

 

せっかく21世紀まで生き残った立坑ですから、せめて自分が鉱山にいる間は残してやりたいところです。

 

立坑ケージのお話の続きです。 →【その1】からご覧ください。

 

こちらが立坑ケージの模式図です。

弊社にある立坑施設をもとに作成しました。

立坑施設は、垂直なトンネルの立坑、ケージを吊る立坑櫓、ケージの上げ下げを行う巻室(まきしつ)の3つで一式です。
立坑櫓の形やケージのサイズなどに違うはあるものの、全国各地にあった鉱山の立坑施設も、設備の仕組みや動作原理はだいたい同じです。

 

次に内部構造の模式図をご覧ください。

巻室に設置された巻上機には、ケージと重り、2つの物体がワイヤーで繋がっています。また、立坑櫓の上には2つの大きなプーリーによって、ケージと重りは吊り下げられています。巻上機に設置されたモーターで巻き上げたり、巻き戻したりすることで、ケージをあげたり、重りを下げたりしています。

 

例えば、ケージに人員や資材を積んで地下坑道に下りる場合、ケージへの積み込みが完了したら、巻上げ機で重りを釣り上げると同時に、ケージを地下坑道へ下ろします。

 

逆に、地下坑道から人員や鉱石を積んで地上に上がる場合は、巻上げ機でケージを引っ張り上げると同時に、重りを地下に向かって下ろします。

これら一連の運転操作をするのが、巻上室の運転席です。
弊社の巻室にある運転席はこんな感じです。

 

こちらが立坑櫓の上にあるプーリーです。

 

こちらが地上の積み込み口です。

鉱車(鉱石を積む貨車)用のレールが敷かれています。

 

こちらがケージが上下する垂直坑道です。地下113mの深さがあります。

 

そして、ケージが下がってきた地下坑道の積み込み口です。

ケージが地上に上がっている場合は、地下に重りが下りています。
こちらが重りの様子です。


以上が、立坑ケージの動作原理と各施設の様子でした。

さて、問題はここからです。
40年近くの間、故障もなく使い続けた立坑ケージ、おそらく日本で唯一の現役立坑ケージだと思うのですが、残念ながら昨年11月に故障してしまい、現在修理待ちの状態なんです。
一刻も早く修理したいのですが、そもそも修理ができる職人さんがいないそうなんです。
次回はそのあたりについて書く予定です。