土橋鉱山

国内随一の蝋石鉱床から

高品位の原料をお届けします

土橋鉱山

弊社は「陶石」「蝋石」「珪石」といった天然鉱物を地下で採掘している鉱山です。岡山県備前市に位置する弊社は、国内では残り少なくなった坑内採掘を行っています。
採掘した陶石は、陶磁器メーカーをはじめ、さまざまな業種の原材料としてご利用いただいております。

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鉱山について

蝋石(ろうせき)のまち三石

鉱山町・三石

弊社の位置する岡山県備前市の三石地区と隣接する吉永地区は、かつて40~50近くの蝋石鉱山を有する鉱山町でした。
現在の弊社鉱山がある場所を、航空地図で見ると以下の通りです。

露天採掘と坑内採掘

2つの採掘方法

鉱山の採掘方法は、大きく分けて2つあります。1つが「露天採掘」で、目的の鉱物を地表から掘っていく方法です。もう1つが「坑内採掘」で、山の内部や地中の奥深くに存在する鉱物を掘り出すために坑道を掘り進んでいく方法です。

三石・吉永地区にあった多くの鉱山は露天採掘が中心でした。安全性や経済性の観点からみれば、露天採掘が有利だからです。

当時の露天鉱山(大平鉱山)の様子   

引用元:日本蝋石鉱業協会・編「蝋石」(1964年)

ボーリングで

発見された

良好な地下資源

弊社鉱山の場合、戦前から終戦直後にかけては主に露天採掘を行っていたようです。また、弊社敷地のあちこちに狸掘りの小さな坑道が数多く残っていて、小規模な採掘も行われていたようです。しかし、戦後はボーリング調査を行い、地中に良好な蝋石鉱床が存在することを発見したため、坑内採掘一本に切り替えて、鉱山開発を進めてきました。

弊社の抗口   

全長10㎞に及ぶ

地下坑道

それから60年経った今、弊社の地下には総延長10km以上の長大な坑道が、まるでアリの巣のように張り巡らされています。

弊社・坑内図|拡大するには画像をクリック 

現在は地上から150m下まで掘り進めていますが、将来的には250m付近まで掘り下げていく予定です。

坑内・断面図|拡大するには画像をクリック 

鉱山の概観と坑内の様子

それでは、地上の坑口から地下坑道を下っていく様子をご覧いただきましょう。

坑道のサイズは幅4.5m、高さ3.9mで、大型重機やトラックが通行できます。

(1)3つの階層からなる地下坑道

坑道について

地下坑道には3つ階層があります。

①L3坑道(-113m)

②L4坑道(-133m)

③L5坑道(-156m)

①L3坑道

-113mの階層

L3坑道は坑口(標高約130m)から113m下りた階層で、古い坑道と新しい坑道が複雑に入り組んでいます。

L3坑内図|拡大するには画像をクリック 

古い坑道は、幅2m、高さ2mの小さな坑道で、坑道全域に線路が敷かれており、トロッコを使って鉱石の運搬を行っていました。(現在はトロッコを使わず、トラックを使って運搬しています。

坑内線路の様子1 

坑内線路の様子2 

なお、L3より上の階層としてL1、L2がありますが、すでに採掘が終了して坑道が崩落しているため、立ち入りはできません。

②L4坑道

-133mの階層

L4坑道は地下133m付近まで下りた階層で、おおよそ海抜0m地点となります。

L4 坑内図拡大するには画像をクリック 

③L5坑道

-156mの階層

L5坑道は地下156m付近まで降りた階層で、すでに海より下まで到達しています。

L5 坑内図|拡大するには画像をクリック 

L5坑道は現在開発中で、将来的にはL4坑道と同様に四方に広く坑道を伸ばしていくことになります。今後はL5開発を進めつつ、将来のために、さらに下のL6坑道の準備を進めていくことになります。


昭和30~40年代に行ったボーリング調査で、地下270mまで蝋石・陶石鉱床が存在していることがわかっています。したがって、現在のL5坑道からさらに120m下まで及ぶ広大な未開発鉱床があると想定しています。

耐火煉瓦の里「三石」の歴史

三石地区の風景     

備前市三石の歴史

弊社鉱山のある岡山県備前市三石は、岡山県の東端にあり、兵庫県赤穂市と接している県境の集落です。上の写真は、JR山陽本線・三石駅から見える三石地区の風景です。手前に見えるのは耐火煉瓦工場の煙突で、背後には、かつて露天採掘が行われた巨大な蝋石鉱床の「台山」が見えます。現在は植栽が行われており、緑の小高い丘のようになっています。


今の三石は人通りも少ない静かな集落になっていますが、かつては蝋石鉱山と耐火煉瓦工場が数多く存在し、たくさんの労働者でにぎわっていました。下の写真は、耐火煉瓦の工場が最も多かった昭和40年代の三石の様子です。

昭和40年代の三石   

写真提供:伊賀正孝氏

次の写真は、ほぼ同じ場所から撮った現在の様子です。

現在の三石   

写真提供:伊賀正孝氏

耐火煉瓦工場の煙突が減り、住宅街に変わっています。

明治維新と石筆

三石は近代以前、播磨国と備前国の国境に位置する関所であり、街道筋の宿場町となっていました。しかし明治維新によって、日本の近代化が進む中で、まずは「石筆」の産地として世に知られるようになりました。


石筆と聞くと、昭和期に子供時代を過ごした人であれば、地面に文字や絵を書くためのチョークの様な白い石を思い出す人も多いことでしょう。また、土木建築関連の仕事に関わる人なら、コンクリート面や鉄筋に字を書くための道具として、現在も使っている方がいらっしゃることでしょう。


明治時代、石筆は学用品の1つとして重要な役割を果たしました。学校制度の開始を受けて、文字を勉強するための道具として必要となったのが、石板と石筆です。当時はノートや鉛筆が普及しておらず、筆記道具は石板と石筆だったのです。この時の石筆として、ちょうど都合の良かったのが、三石産の蝋石でした。

大日本物産図絵に描かれた

三石の石筆

三石産の石筆   

写真提供:木下耕二氏

三石の石筆

上の写真が、実際に明治時代に作られた石筆です。三石で最も大きな鉱山の1つ、大平鉱山(株式会社大平様)が保管しているものです。石筆の生産販売が盛んに行われたのは、明治5~10年(1872~1877年)頃で、当時の様子を示す浮世絵が残っています。

大日本物産図絵    

写真提供:木下耕二氏

三代目歌川広重の作品で、日本各地の名産品を描いた「大日本物産図絵」です。備前国の名産品として、三石の石筆が取り上げられています。

石筆を作る際、蝋石の切り屑が大量に発生します。当時はその屑の処理をどうするかが問題となっていました。

石筆から耐火煉瓦

への転換

一方、明治政府は富国強兵・殖産興業といった政策を進める中で、自国で鉄や銅などを作る必要性が高まってきました。日本各地に製鉄所や精錬所が建てられ、そこにはたくさんの溶鉱炉が築造されました。こうした溶鉱炉には、高熱に耐えられる耐火煉瓦が必要ですが、当時の国産による耐火煉瓦は質が低く、海外品に劣ることが大きな問題となっていました。


三石の地で石筆を製造販売する「校用舎」(明治9年創業)を興した加藤忍九郎氏は「石筆の需要はやがて頭打ちとなる」と予見しており、次の事業展開を検討していました。そんな中、あるところで海外製の耐火煉瓦を見て、問題となっていた石筆の切り屑を使って煉瓦を焼くことを思いつきます。こうして、忍九郎氏は耐火煉瓦の試作を行ったのが、当地における耐火煉瓦製造の嚆矢となりました。


明治18年には、農商務省・地質調査所の巨智部忠承博士が三石を調査し、三石の蝋石は鉱量豊富で耐火煉瓦の原料として好適との評価を行いました。また、明治28年には農商務省・臨時製鉄事業調査委員会において、蝋石を原料とした耐火煉瓦の優秀性が立証されたため、三石蝋石の需要は徐々に増加していきました。

加藤忍九郎の功績

忍九郎氏は、三石の蝋石を使った事業の展開を推し進め、また蝋石を運ぶための山陽鉄道敷設に尽力したことから、地元の名士として現在も顕彰されています。加藤忍九郎氏の銅像は、備前市立三石体育館の敷地にあって、すぐそばにはかつての山陽鉄道(現・JR山陽本線)の線路が走っています。

加藤忍九郎の銅像    

備前焼との関係

ちなみに、忍九郎氏が耐火煉瓦を試作する際、この地域の伝統産業として知られる備前焼を焼く技術が役に立ちました。最初の耐火煉瓦は備前焼の登り窯で焼いたという記録があります。耐火煉瓦に最適な原料と実際に煉瓦を焼くための窯があったことが、この地区を耐火煉瓦の一大生産地にした大きな要因といえるでしょう。

もうひとつの用途

「蝋石クレー」

蝋石は「クレー」と呼ばれる製品の原料にもなっています。クレー(clay)とは、英語の粘土という意味ですが、工業用のクレーとは一般に蝋石や石灰などの石を原料とした微粉砕した粉末のことです。クレーの主な用途は、洋紙の表面に塗る塗工剤で、紙の表面を平滑にして印刷のノリをよくするために使われます。その他、樹脂やゴムなどの充填剤としても利用されています。


耐火煉瓦と同様に、近代化の進展に伴い印刷物の消費が増えることで、洋紙の出荷が増えて、ひいては塗工剤であるクレーの需要も伸びたことから、クレーの生産も、当地の主要産業として発展していきます。


耐火煉瓦とクレーの日本随一の生産地として、三石地区、また隣接する吉永地区では、あちこちで蝋石鉱床の探索が行われ、数多くの鉱山が運営されました。蝋石に関わる産業は太平洋戦争直前にピークを迎え、戦後は一時的に低迷するも、高度経済成長の波に乗って、昭和40年代前半に最盛期を迎えます。

三石吉永鉱山分布図|拡大するには画像をクリック 

引用元:日本蝋石鉱業協会・編「蝋石」(1964年)

戦前戦後の隆盛から

一転衰退へ

上の図は、昭和39年(1964年)時点の三石・吉永地区における鉱山の分布状況を示した地図です。

三石・吉永地区には、戦前には60近くの鉱山があったようです。中には個人で採掘している鉱山も多かったようで、やがて企業統合が進み、昭和39年の段階で、35鉱山が稼働していたようです(三石地区が20鉱山、吉永地区が15鉱山)。


太平洋戦争の終結後、数年後には朝鮮戦争が始まります。共産主義化した中国本土からの蝋石が入ってこなくなり、この時期から三石・吉永の鉱山は戦前を上回って大きく飛躍したようです。

しかし、昭和50年頃には大半の鉱山が閉山し、現在、実質的に稼働している鉱山は数箇所となりました。原因としては、韓国から良質な蝋石が多く入ってきたことや、鉱山自体の資源枯渇などが挙げられます。


こうした流れの中では、弊社が現在も現役鉱山として稼働しているのは、耐火原料に比べて比較的価格の高い陶磁器原料を主力としてきた点、また、陶磁器原料として比較的良質な原鉱が採掘できたためと考えられます。

土橋鉱山の鉱床と地質

土橋鉱山で採掘している石

3つの鉱石

弊社で採掘される鉱石は「陶石」「蝋石」「珪石」の3つです。

陶石

(セリサイト系)

大変脆い。基本は灰白色だが、切羽によって緑、ピンク、黒などの色味を帯びる。いずれも粉砕すると白い。

陶石特級の原鉱 |拡大するには画像をクリック 

蝋石(パイロフィ

ライト系)

独特のろう感あり。大変脆く、石の節理に沿って割れる。
やや灰がかった白。遠目で見ると青く見える。

蝋石特級の原鉱|拡大するには画像をクリック 

珪石(シリカ)

固いがトンカチ等で容易に粉砕できる。色は白、紫、黒など、切羽によって様々。ポーラス(多孔質)状になっている。

珪石の原鉱|拡大するには画像をクリック 

蝋石は、パイロフィライトやカオリナイト、セリサイトといった「ろう感」を持つ鉱石の総称です。その中で、セリサイト系の蝋石については、伝統的に「陶石」と呼んで区別しています。また珪石は、三石地区ではかつては捨石として、埋め立てやセメント会社に引き取ってもらっていましたが、色の白さや粉砕性の良さ、シリカの品位が高いことなどから、重要な産品の1つになっています。

三石の鉱床は白亜紀にできた

白亜紀後期に形成

された熱水鉱床

では、三石の蝋石鉱床はいつできたのでしょうか。
一般的に、蝋石の鉱床は、酸性の熱水溶液と母岩(凝灰岩層)との反応によって生じるとされています。三石地区の蝋石鉱床は、白亜紀(1億4500万年前~6500万年前)に形成されたといわれています。


白亜紀というと、恐竜が地球の支配者として君臨した最後の時代で、白亜紀の末期に恐竜は絶滅しています。7000万年という長い期間をもつ白亜紀の中でも、特に白亜紀後期に活発な火山活動が発生し、現在の鉱床が生まれたとされてます。中国地方の蝋石鉱床は、いずれも白亜紀後期に形成されており、三石以外にも、山口県の阿武・須佐、広島県の勝光山などが該当します。

弊社のセリサイトに含まれているカリウム(K)を使った年代測定法によると、だいたい8000万年~7300万年前に鉱床が出来上がったという調査結果もあります。

(参考:本宮秀朋・北川隆司・西戸裕嗣「岡山県三石地区のロウ石鉱床の産状とK-Ar放射年代」粘土科学 第40巻 第1号46-53)

鉱床の模式図(予想)

蝋石鉱床の付帯

状況

ここで、土橋鉱山の蝋石鉱床について、単純化した模式図で説明しましょう。

鉱床の模式図   

こちらの模式図はあくまで想像図であり、実際の鉱床はより複雑な形状で付帯しています。ここでは、わかりやすいように単純化しています。図中の赤い建物が弊社事務所で、トンネルの入口が土橋鉱山の坑口を示しています。

鉱床のあらまし

今から7000万年前の白亜紀、鉱山がある三石地区の地下で、熱水が沸き起こり、岩盤を通って地上に向って放出されたと思われます。その際、最も強く熱水の影響を受けた部分がパイロフィライト+カオリナイト、あるいは、パイロフィライト+カオリナイト+ダイアスポアとなりました。いずれも、Na(ナトリウム)、K(カリウム)、Mg(マグネシウム)、Ca(カルシウム)などがごくわずか、もしくはほぼ含まれていない状態で、シリカとアルミナが主な成分です。


強い熱水を受けたパイロフィライト+カオリナイトの周辺、熱水の影響が弱かった部分がセリサイトの鉱床になっています。セリサイトにはK(カリウム)が含まれています。セリサイトの厚い層を越えると、その外側は珪石の層が広がっています。珪石はSiO2(シリカ)が98~99%で、比較的純度が高く、アルミナやその他の鉱物がごくわずかにしか含まれていません。


もっとも強い熱水の影響を受けた中心部はカオリナイトとなっています。弊社の鉱区でも、純度の高いカオリナイトが産出する場所がありますが、あまり多くありません。カオリナイト単体での産出は珍しく、たいていパイロフィライトやダイアスポアを伴っています。また、ダイアスポアはさらに産出する頻度が少ないです。カオリナイトが少ない代わりに、パイロフィライトの層が比較的広く付帯しています。


パイロフィライトの周辺にセリサイトの層が形成されており、蝋石鉱床としては、このセリサイトの層がもっとも広い範囲に付帯していて、厚みもあります。これらの蝋石鉱床を包み込む形で、膨大な量の珪石の層が広がっています。弊社の鉱区においては、端から端まで珪石の産出が確認できます。


模式図に示したような鉱床の付帯状況を「レンズ状」と称することがあります。このレンズ状に形成された鉱床は、熱水の影響によってサイズや品位が様々で、地中での分布も大変不規則です。弊社では、坑内でボーリング調査を定期的に行うことで、不規則な鉱床の付帯状況を詳細に把握し、採掘計画を立てて坑道開発を進めています。