鉱山について

土橋鉱山について

備前市三石地区は、日本最大のろう石鉱床となっています。採掘が始まった当初、ろう石の主な用途は、石筆や彫り物の石材、増量材などでした。とくに石筆は、学校制度が始まった明治初期より鉛筆が普及するまで、全国の学校で使用され、三石は産地として注目されました。

その後、戦前の殖産興業の流れに乗り、鉄鋼産業が発展すると、溶鉱炉などに使用する耐火性に優れた炉材が必要となり、備前地区で生産された耐火煉瓦の需要が拡大しました。ちょうど、山陽鉄道の開通や片上港の整備もなされ、全国的に出荷されました。

戦後も日本の高度経済成長に合わせ、「産業の米」といわれた、基幹産業である鉄鋼業を支えました。また、ろう石クレーは製紙業にも多く使用されました。耐火煉瓦会社・製粉及びクレー会社、そして鉱山は、この地区の三大産業として繁栄しました。

現在、耐火煉瓦会社は統合が進み、また、製粉・クレー会社は外国産品の取り扱いが増えたことで、かつて地区に30以上あった鉱山も数ヶ所のみとなっています。

地域と共に歩んできた半世紀

土橋鉱山は、岡山県東部の備前市三石台山を中心としたろう石鉱床地域の南部に位置しています。
土橋鉱山の開発は、明治末期に始まったといわれています。記録によれば、1930年(昭和5年)以降は、西角政次郎氏らにより採掘が行われていました。

その後、1964年(昭和39年)に川炉商事株式会社(当社の旧社名)が鉱区を取得、先に買収していた兄坂鉱山と鉱区合併を行い、本格的な開発に着手しました。ボーリング調査を進める一方で、斜坑道、竪坑を整備することで、下部鉱床の探査・採掘に努力してきました。また昭和62年(1987年)には、トラッ クレスマイニングの重機用斜坑道が完成し、さらに深い下部鉱床での採掘を進めています。

平成6年(1994年)10月には、本社を岡山市より土橋鉱山の山元である備前市三石に移転し、社名も「土橋鉱山株式会社」と改めて、鉱山業に専念しています。